ゲートシティ
限界費用ゼロ社会の本に、メキシコの話が出ていて、富裕層と貧困層は全く違う場所に住み、そこには門(ゲート)があり、ゲートシティになっていた。というくだりがあります。ゲートシティが出てきてしまうと、内外での情報の交換ができなくなり、その文明(文化)は両極化して対立が生まれると。。
上の写真のように、古くから城壁を作り町が出来てきた。その中ではできるだけ単一な文化を作り、その城壁の外は敵として、人間は、外敵からコミュニティを守るというパラダイムの中で生きてきている。
このパラダイムが、IoTやICTで崩れていくのではないかと・・書かれていましたし、僕もその壁がなくなっていくといいなと思っています。
大陸に行くと、ヨーロッパの国々の都市(街)は、本当にこのようなゲートシティが形成されていたことがよくわかります。旧市街と呼ばれる街は、凱旋門があったり、城壁のあとが残っています。中国も大きなものだと、万里の長城がそうですし、家そのものも、胡同などに見られるように壁を作った中で生活するという文化が出来てきたんでようね。壁を作ると、外が怖いという観念、中はどうなってるんだろうという疑念が生まれる。
少し話を戻すと・・富裕層・貧困層という人間自体に壁を作っている。その壁を乗り越えたりすること、乗り越えやすくできるようにすることが構造改革なんだろうと思うし、壁を壊していかないと新しい事が起こりにくい。どんどん両極化するだけになっていく。
日本には結界という文化
日本だと、お堀がそれにあたるのかな?でも日本はあまり城壁などの物理的な壁という文化はなさそう(あるいは、低そう)に思う。もともと八百万の神の文化だから自然界との間が緩やかにつながっている。ひとつ思いつくのは、豊臣秀吉が作った京都の御土居くらいかな?秀吉は何を恐れて御土居を作ったんだろう?(京都の中にいる仏教という勢力を恐れてなんだろうな。。その話はまた別の機会に)
物理的な城壁はなくても、日本には、結界という心の中に作った壁が存在している。
もともとは、仏教から来ているようですが、日本の密教・神道の中でできてきた自然との境を表す言葉として概念化されて、人と人にも、結界が存在しているんですね。これは物理的な壁よりも、取り壊すのがとても大変な壁かも知れないですね。
でも、お茶の世界では、この結界を作る道具として、扇子を使ったりします。相手との間に扇子を横にしておくことで、精神的な境を作ります。扇子をとれば、結界がなくなる。本当は、結界を意識して取り除くためにこのような作法が生まれたのかもしれないですね。また勉強してみたいと思います。
最近、よく鹿・サル・イノシシ・熊が出る。獣害をよく聞きます。
人と人との隔離をする壁だけじゃなくて、自然との間にも壁があるんでしょうね。昔は城内・城外とあったのが、なくなって、人も増えて里山の周囲にはお互いを干渉させない不干渉地帯があったから、壁がなくてもお互いがそれぞれ生きてこれたんでしょうけど・・・獣害自体は昔とそんなに変わらなくても、心理的にはどんどんその壁が大きくなっているのかもしれないですね。
そんなことを考えていたら・・・とても面白い記事をみつけました。
東京都の福祉保健局のデータを用いて、東京都の害虫・害獣のうち、屋外害虫に関する相談件数が近年増加傾向にあること、そしてハチやヘビなどの相談件数と緑地面積には関連があることを明らかにしました。
都会の人にとっては、蚊や蜂、蛇などは、害虫・害獣なんです。家の中まで入ってくるのは嫌だけど、確かに、都会では、そういった生物から完全に分離されているので、苦情となる。まさに敵だと思っているってことですね。
養老さんの「手入れ文化と日本」にあるように、昔は自然と共生していたので、行政に苦情をいうようなことはなかったんだと思うんですが、コンクリートジャングルで育った人には、ある意味、普通の自然との壁が非常に大きいのかもしれません。
ゲート・壁を無くせるのか?
人と人との壁、人と自然との壁、物理的な壁、心理的な壁・・・ ICTやIoTはこれを本当になくせるのか?無くせるようにすれば、格差だったり、獣害だったり・・いろんな社会的な問題を解決できるのでしょうね。
そんなしょ~もないこと考えてしまいました。(暇やなぁ)(笑)
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