昔は、何巻もあったような気がするけど・・・
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」、上下2巻になってるんですね。
息子が買ってきたのか、食卓の上に、ぽんっておかれてました。お父さん面白いよこれ! って昔読んだような記憶があるけど・・・ すっかり忘れています。
第二次世界大戦の時期のドイツ・日本のことを発端に中東での戦争まで、人種・国家について書かれている本です。
何を伝えたかったのでしょうか? 手塚作品全部は読んでないので分からないですが、この作品は大人向けの表現が多くて・・・ さらって読んだだけでは怖い物語 としか残ってこないですが・・・ 3人のアドルフ・・・ 誰も幸せにならないのは、戦争のせいでしょうか?人種のせいでしょうか?国という単位があるからでしょうか? なんてことを考えさせる本ですね。
ちなみに・・
Kindle版の元の方だと、5巻ですね。
どの版でもいいので、娘達にも読ませておこうと思います。
ーーーーー息子の感想ーーーー 2016.6.6ーーーー
母から一度は読んだほうがいいと言われ、偶然セブンイレブンで見かけたので買って読んでみた。
読んだことがない人もいると思うので、以下あらすじを説明すると
「アドルフに告ぐ」
第二次世界大戦前後のドイツ、日本をアドルフという名の3人の視点から描かれた物語である。一人は悪名高きアドルフ・ヒットラー。一人はナチスに所属するアドルフ・カイフマン、そして最後の一人はユダヤ人のアドルフ・カミフ。カイフマンとカミフは日本の神戸で一緒に育ち、遊ぶ親友同士であった。しかし、ヒットラー最大の秘密が記された機密文書が日本に持ち込まれたことがキッカケに二人の運命が宿命に代わっていく。という話である。
<感想>
人は偏るものだ。というのが率直な感想である。
今回登場する3人が3人とも各々の正義に基づいて生きている。正義とは各々が各々の価値観で正しいと思っていることだ。しかし、その正義の相違で衝突が起こり、不幸が生じる。最初は人種差別に対して反対していたアドルフ・カイフマン少年もナチスに入り、ユダヤ人を虫けら以下のように扱うのが正義という風に変わってしまう。しかし、自分はカイフマン少年を責めることは出来ないと思う。正義というものは環境次第でコロッと変わってしまうものであるからだ。優しいカイフマン少年は周りと違う正義に何度も苦悩したのちに、ナチスという環境に適応した正義というものを作りあげてしまった。ナチスという環境から離れるとその正義が世界から見て偏っているとわかるが、ナチスという環境に居てはわからない。自分では自分の偏った正義がわからないのだ。歴史に翻弄されるとは正義に翻弄される、ひいては環境に翻弄されるということなのかもしれない。
どんな人間でも環境次第で正義は偏るものだ。では、環境に翻弄されないためにはどうすればいいか。
自分の頭でなぜそれが正義なのかということを突き詰めることが大切なのかなというのが今の自分の答えだ。このバランスが大切なのかなと思う。カイフマンもヒットラーも、カミフも各々の正義を疑わない。それこそが一番の失敗だったのだと思う。
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