自然農
そもそも、仙人になりたいなぁ~って思っているのですが(笑)。なかなかなれない(笑)。昨日のエントリーは農業ICTで(笑)。基本的には自然とともに生きる。。憧れます・・・(笑) ちなみに、自然農にも、いろいろ種類があって、人間がどこまで手を出すか?でいろいろな考え方があり、Wikiだと、その実践者として、下記の方々の名前があがっています。
自然農って、農業自体が、そもそも自然じゃない人工のものなので、この言葉は、あまり好きじゃないんですよね。不耕起とか、炭素循環農法とか、EMぼかしとか、農法として、できるだけ地球に負荷をかけないで、少なくとも人間が生きている間で回復させてあげられる農法ということで自然に近い農っていう感じで、凄く哲学的(禅問答)のような気がするんですよね(笑)。どっちにしても、人間が生きていくには、何かを犠牲にしなくてはいけないんですから・・・ICTの力で、できるだけ犠牲を少なくする。それができたら効率的(笑)でも、
生きていくには、自然ではありえない。人間も自然の一部だ。人工は自然なのか? っていう禅問答のようなことになります(笑)
そんなことを、考えていたら、自然農って、僕が考えているようなものじゃないのかな?っていう二編の書き物に出会いました。
どちらも・・・福岡正信氏のものですが・・・
緑の哲学 農業革命論: 自然農法 一反百姓のすすめ
なぬ? 自然破壊は農業から始まっていると・・自然のおこぼれを頂いておれば、格差もなく、貧富も無く、争いも無く、宗教も無く、政府も無く、税金も無く、・・継続可能な社会でおれたものを、欲が仕組みを作り、複雑化し、差別を作り、いまや地球を壊している。
ほほ~~ 確かに、環境問題で工業排水よりも、大きな影響を与えていたのは、農業排水で窒素過多や農薬を含んだ水だったりしました。。
粘土団子に種を入れて、蒔いて、勝手に育つようにして・・・
できるだけ手を抜くようにすることが、一番地球にいいと!
(笑)(笑)(笑) なるほど・・・ で少し興味をもって・・・調べていたら
自然農法の思想 : 福岡正信の場合
筑波大学のリポジトリの中に、この福岡正信氏のことが詳しく解説されている論文を見つけました。
福間が逝去してしまった今、福岡の白然農法に関わる思想を何を用いて考察できるかは吟味し なくてはならない。揺問の自然農法の農地をそのまま見て考えることができない以上、残された 著作や講演の記録、あるいは映像資料などを用いなくてはならない。ただし、福岡の用語には 独自の月?い方も散見されるので、十分に気を付ける必要がある
ほほ~~ 確かに、わかりないくいのです。自然農を論理的に知ろうとすると、なんか矛盾があるような気になって(笑)
禅僧の修行と悟りの経験の訪れという過程に非常に類似する。
やっぱ禅か? 無を意識した時に、悟りが生まれるのか?< ん? また禅だな(笑)
「百姓が、畦をぬり、泥にまみれて、田植えをする、その姿を、単に非科学的な労働としかみない近代人の視野から脱皮して、それを芸術的、宗教的仕事として把握するのが、自然農法の使命でもある。
実践こそ、真である。
何もないということは 人認の行いには価値がないということである 。自然そのものに価値があるのだということを福岡 の自然農法が実践的に証明したといえる。
自然にでも、植物は生えてきますから・・・ 人間が手をできるだけ出さないってことで、自然農法は、自然にはできない。。
実際、 自然農法といいながら、自然には生成してこなかった組み合わせを、つまり米と麦とクローパーの組み合わせを見つけ出し、不耕起二毛作でかなりの収穫を挙げたことを、福間は自らが考える自然農法の実証と見なしている。
「自然」農法とは、必ずしも自然の害(この場合はネズミ)をそのまま 放置するということではなく、麦・米などが潜在的に持ち力を最大限に引き出す配慮をするというものでもある
なるほど・・・自然をこういう風にとらえているんですね。 この方法は、日本以外でも砂漠地帯の緑化なので、成功を収めている方法だそうです。人為がなかなか及ばないような自然の中で、このような手法はとてもいい手法なんでしょうね。人為が及ぶのなら、及ぼしてもいいんでしょうということだとわかると。。なんとなく、理解もしやすくなります。
ところで、なぜ、自然農を進めるのか?それは、農民の価値向上なのかもと・・以下の部分を読んで思いました。
福岡が問題視しているのは、近代の農学者であり、石油加工業者 であり、農機会社である。農村に動力のついた運搬車テイラーが導入されたときから、日本の農 業は大きく変貌した。 機械化の導入は省力化という美名のもと進められた。牛耕は耕転機にとっ て代わられ、更には大型のトラクターも導入された。除草剤、農薬の散布方法も動力噴霧機を 使ったものから遠隔操作のできる小型ヘリによる散布へと新たな方法が導入されていった。このような流れにともない従来の有畜農業は敬遠されるようになり、化学肥料、農薬多投の農法へと 移行していった。福岡によればこのような農業の変化の背後で、機械工業と重化学工業の復興 も進んでいた。すなわち農業の「近代化」は第二次世界大戦の敗戦によって壊滅した兵器産業や 工業界が変身して生き延びる機会となったものであり、日本の産業社会の復興にも繋がっていったのだというのだが、それはまた、農民が「工業生産業者の下請け食品生産業者」に転藷する道 でもあった。
このように化学肥料や農薬、そして動力機械を利用することにより、農業は膨大なエネルギー を消費する産業となった。そして、近代農業は効率化を呂指したはずが、一人当たりの労働生産 性が向上したと思ったとき、農機による耕転、化学肥料の多用、農薬多投のため土地の生産性は 低下し、エネルギー収益性は逓減していった。第二次世界大戦時、水田に投下されたエネルギー に対して4倍のエネルギーが収穫されたが、 10年後に小型農機が導入された頃には半減し、更に その 10年後にはエネルギー収益がゼロとなってしまう。現代農業はエネルギー消費産業になってしまっている。というのである。
産業革命というか、エネルギー革命というか、グリーン革命を起こしていかなければ本当の意味での自然農法は出てこないってことかもしれないですね。。
有機農業・自然農業・・・
日本では、まだ有機農業(JAS)は全体の5%らしいです。もっと増えていてもおかしくないのにな。。っていう数字ですね。なかなかこれでできると信じられないんでしょうね。それこそパラダイムシフトが起こらないと、変化していかないんでしょうね。
そういえば、京丹後の「自然耕房あおき」さん ちょうど一年前くらい前に行きました。
同郷の堺・泉北出身の方で、確かに不耕起・無農薬で育てた野菜はとても美味しかったです。
すごいパワーのある方でした。
あらためて・・自分は何をしたいのかな?なんて思ってしまいました(笑)
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