メンバ紹介 高梨孝輔

会ができたのはいつですか? また、きっかけは?

結成は94年5月。母体となったのは“『水からの速達』を見る会”実行委員会でした。
日の出の森の美しい、豊かな自然、ゆったりとした暮らし。
それを破壊し、切り裂いているのが、他でもない私たちが日々出しているごみであることの発見。
そして、そのつけが回り回って、私たちの生活に襲いかかってきていることを知った衝撃でした。

それまでほとんど知り合いでなかった同士の集まりでしたが、「映画を観て終わり」にしたくない、当事者としてごみ問題に関心を持ち、取り組もう、と会を作ったのです。
あの頃、日の出町の最終処分場問題に出合った三多摩の市民に共通の思いだったといえるのではないでしょうか。

小平市の、日の出へ持ち込むごみは減りましたか?

小平の場合、ごみそのものの量はこの10年間あまり減っていません。
人口が増えている(10年間で6.4%増)こともあり、約3,000トン(6%)の減です。
一方、日の出へ搬入した焼却灰と不燃残渣はこの10年で34%減っています。
不燃として収集されたごみのうち、中間処理施設で燃やす量を増やしているからで、その分、環境への負荷が大きくなっている心配があります。

会が取り組んでいるごみ減らし策を教えてください?

まずは、家庭ごみの40%を占める生ごみです。
市の対策は家庭用生ごみ処理機を、補助金をつけて市民に買ってもらって、機械処理物を市役所などで回収し、肥料業者に渡す、というシステムです。
もう一つは毎年やっているEMバケツによる生ごみリサイクル講習会です。これがなかなか拡がらない。

市のごみ処理計画には、「生ごみ一次処理物を堆肥化し、農業利用を視野に入れた市内循環システムを検討する」と謳われています。
素晴らしい計画ですが、その具体化は遅々として進んでいません。困難な事情はいろいろあります。まず、お役所の縦割り組織、農業の担当は産業振興課、生ごみはごみ減量対策課です。

そこで市民の出番です。市民なら、お尻も軽く、縦割り行政の壁に穴を開けて実験に挑戦できます。
小平の小学校では、給食残渣はすべて機械処理されています。
処理物の大部分は肥料業者へ引き取られていますが、私たちはその一部をもらって、腐葉土と混ぜて堆肥を作り、畑で野菜を作っています。
畑は4年前から、ある農家のご好意で使わせていただいています。(約120坪)

毎週日曜日午前は、晴れていれば畑仕事で、10人前後が参加しています。土に触れるだけでも気持ちいいのに、新鮮な有機野菜が食べられるので最高です。
夏と秋に収穫祭を催し、近くの小中学生に収穫体験の機会を提供しています。

昨年「多摩のバイオマス」という冊子を出しましたね?

そうです。畑をやるようになって、生ごみに限らず、地域にあるバイオマス、落ち葉、剪定枝、廃食油などに目が向きました。多摩の30自治体やNPO、事業者がどんな風にバイオマス利用しているか調査して発表しました。

冊子をまとめながら、農家に使ってもらえるちゃんとした有機堆肥を作りたいという思いが募り、企画書を出したところ、昨年暮れに市が10坪ほどの土地を貸してくれることになり、今年から落ち葉のプールと4種類の堆肥作りに取り組んでいます。
10周年記念誌を出すことで、堆肥作りへ一歩前進でき、ラッキーだったと思っています。
(二つの事業は東京マイコープの市民活動助成基金の助成をいただきました)

次に何をやる予定ますか?

畑にしても、堆肥場にしても、まだ実験としての事業です。第1の課題は、農家と市民との連携。
小平でも農地は50年間で約3分の1が失われています。なんとか農業をつづけてほしい。
市民は新鮮で体にいい野菜が食べたい。そのためには農家と市民と顔のみえる、腹蔵なく話し合える関係を作ることが必要です。私たちが作る堆肥を農家が使ってくれ、結びつきが深まり、農のあるまちづくりに貢献したいと考えています。

もう一つ、目の前の仕事は楽しいけれど、それに埋没していてはいけない、と思っています。
10年後、20年後、国の環境政策はどうあるべきか、その条件の下で私たちは何をすべきか、長い目で活動計画を立てるべきだと思っています。
この点は「ごみ・環境ビジョン21」に期待するところ大です。頼りにしています。

未来の子どもたちに安全・安心な地球を残したい

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